スイスに学ぶ国民向けの避難シェルター~
スイス政府発行『Shelters』内容紹介(第1回)
2023年10月16日
当協会のスイス特派員Hans Muller氏よりスイス連邦市民保護局(FOCP)から発行された『Shelters』という小冊子が届きました。『Shelters』は設計士や建設会社向けに出されているTWPやTWKなどのスイスの建築指針とは異なり、一般市民向けの全16ページで構成される平易な小冊子です。
副題に「その目的、建設、活用について」と付いているとおり、シェルターの啓蒙活動の一環として作成されている小冊子になります。5回にわたってその内容を紹介していきます。( 関連:第2回、 第3回、 第4回、 第5回 )
A long-term investment in protection and security(保護と安全のための長期的投資)
『Shelters』は全16ページで構成されています。まず、シェルターの意義を訴える「A long-term investment in protection and security(保護と安全のための長期的投資)」というイントロダクションから始まります。以下、抄訳となります。
スイスではシェルター建設の義務が導入された1960年代から集団の避難所(シェルター)が建設されてきた。武力紛争が発生した場合、すべての市民が自宅の近くに避難できる場所を持つべきである。この目的のために、シェルター建設が計画され、標準化された。それは堅牢な建築物であり、費用対効果のあるものだった。
冷戦終結後、この慣行に対する批判は強まった。平和時に戦争から身を守るために費用を支出することは歓迎されなかった。しかし、安全保障は一転して悪化することもあり、スイスも武力紛争の影響を受ける可能性がある。
(略)
過去20年余りにわたって既存のシェルターが充分にあり、また武力紛争の可能性が遠のいたことなどから、シェルターの建設の義務は緩和されてきた。2022年2月に始まったウクライナでの武力紛争は、ベルリンの壁の崩壊から始まったこれまでの安全保障政策の転換点であった。民間人保護政策、特にシェルターに対する関心が急激に高まった。
(略)
この冊子は一般の方向け、特にシェルターのオーナーを対象としている。ここにはシェルター建設の目的、どのように人々を守るか、どのように造られるか、どのような設備を持ち、維持され、また非常時にどのように使われるかに関する情報を盛り込んでいる。さらには非常事態発生にともない、シェルターがどのように準備され、避難先の割当がどのようにされるのかについても説明している。
(後略)
シェルター不要論を吹き飛ばしたロシアのウクライナ侵攻
全16ページという構成にしてはやや長い序文ですが、この背景にはスイスにおけるシェルターに関する議論があります。
まず前提となりますが、スイスでは個人住宅のシェルターの建設に対して補助金は出ません。また、自宅にシェルターを所有せず公共のシェルターを使用する場合には、各州政府のシェルター基金に費用を支払います。
一部誤った情報が流通していますが、スイスではシェルターの建設に政府から補助金が出ることはありません。金融機関の融資期間が長いなど、制度上の優遇に見えるものはあっても、シェルター建設は自助、ないしは共助となります。
スイスでは1963年にシェルターの建設を義務とする法律が発せられ、1966年にTWPという最初の建設指針が出され、1967年4月1日以降に建設された建築物にはシェルターの設置が義務付けられました。冷戦時はシェルター建設に国民的な合意がありましたが、冷戦後は常に議論の的となってきました。
冷戦後に議論が重ねられた結果、2011年にシェルターの義務は緩和され、必ずしも個人住宅の地下にシェルターを建設する必要はなくなりました。ただし、自宅の地下にない場合は、公共のシェルターを割り当てられる必要が生じます。そのため基金に支出する必要があります。国民に金銭的な負担を要求するため、2011年以降も常に議論の的でした。
スイスでは、シェルターが身近にあるので、誰もがシェルターの「存在」は知っていますが、シェルターの「価値」については、冷戦後は常に疑問視され続けました。そうした中、ロシアによるウクライナ侵攻が発生しました。
冷戦の遺物扱いされてきたシェルターに市民が逃げ込み、命が助かる状況を見て、スイスではシェルターの価値が見直され、シェルター建設の再義務化も含めた議論が起こっています。そして、ウクライナでシェルターに逃げ込むのが遅れた市民が命を失ったニュースが流れることで、改めてシェルターへの避難指針やシェルター自体の建設指針などの厳格化の要求が州政府から巻き起りつつあります。
こうした状況下でスイス政府は改めてシェルターの存在価値を国民の意識に働きかけるために本小冊子を国民に配布したと見做せます。では、本章については、次回、改めて記事にします。