スイス核シェルターの歴史 第2回~
60年代のスイスの避難シェルター

2023年11月16日

世界で最も核シェルターが普及し、核シェルターの仕様がしっかりと定められている国がスイスです。スイスは世界で最も早い時期、1963年に核シェルターを建設するための法令を定め、1966年には技術指針「TWP1966」が定められました。

以降、スイスの技術指針はアメリカをはじめ、欧米での核シェルター建設に参照されています。今回から数回にわたって、スイスの核シェルターの歴史をたどり、さらにスイスで現在巻き起こっている核シェルターに関する議論を紹介していきます。

日本でも今年度内にシェルターの基準(ガイドライン)が策定される見込みですが、スイスのシェルター建設の歴史、及び現在スイスで巻き起こっている議論を知っておくことも重要でしょう。

第2回はスイスのシェルターの歴史です。

( シリーズ「スイス核シェルターの歴史」バックナンバーはこちら

第1期~1966年までのスイスの核シェルター~

人口比で100%を超えるシェルターの普及率を誇るスイス。スイスにおける避難シェルターの歴史はスイス連邦政府が民間人保護局を設立する以前から始まっています。

BABS(スイス連邦民間人保護局)で局長を務めたジュリオ・ロセッティ氏が1983年に著した『Die Entwicklung des baulichen Zivilschutzes seit 1950 』によると、過去数世紀にわたってスイスでは新しい建築物を建てる際に、地下室を造る伝統があったとのことです。

そして、第二次世界大戦後、1950年代の建設ブームの際に、この伝統が引き継がれるとともに、現在の避難シェルターにつながるような仕様が徐々に確立されていきました。第二次世界大戦以前は鉄骨と木材を組み合わせた構造が一般的でしたが、戦後は鉄筋コンクリートが主流になります。

1951年6月1日に施行された「民間人保護のためのシェルターに関するスイス連邦法」では、住民人口1000人以上を有する自治体では、原則として新しい建築物への避難シェルターの建設と、地下室の大規模改修の際にシェルターを設置するように義務づけられました。この当時のシェルターは、現在の核シェルターほど堅牢な仕様ではなく、通常兵器の脅威に対する「至近距離被弾シェルター」でした。

当時はまだ核兵器の影響に関する研究はそれほど進んでなかったため、あくまでも第二次世界大戦中によく使用された(ドイツに近い地域はよく誤爆されたとのこと)通常兵器から民間人を保護するための仕様が考察されていました。そのため、爆風圧の詳細は考慮されてなく、またNBCR対応の換気装置など、設備の仕様も定まっていませんでした。

N(放射線)B(生物兵器)C(化学兵器)R(放射性降下物)をまとめてNBCRと呼びます。

第二期~1967年4月1日以降の核シェルター~

第1回でお伝えしたとおり、1963年に「民間防衛のための建設手段に関する連邦規則」が出され、1966年にはガイドラインとなるTWP1966が出されます。初めての体系的なシェルター建設の技術指針です。ガイドライン策定の前段として、1963年にスイス連邦工科大学でスイス内外の専門家によるシンポジウムが開催されました。このシンポジウムでは、当時進行中だった議論の基本的な研究の正しさが証明されます。

次いで、スイス連邦政府民間人保護局のシェルターに関する作業部会編纂の「シェルター構造のデザインに関する武器の種類による影響のハンドブック」が1964年に出されます。各種兵器による影響に関するレポートです。ほぼ同じタイミングでE.Baslee博士、Heierli博士、Mauch博士によるシェルターの保護性能の最適化と破砕物の広がりのパターン、シェルターの合理的構造に関する研究が発表されました。

こうした作業を経て、1965年4月23日施行のスイス連邦民間人保護局による「シェルターに関する必要最小限の要件」ガイドラインと、1966年3月4日施行の補足資料「シェルターの広さに関する参考数値」が作成されました。このガイドラインと補足資料を整理して策定されたのが民間人保護シェルターの技術指針「TWP1966」です。「TWP1966」は市民防衛協会により日本語訳が発刊されています。

TWP1966日本語訳の表紙

市民防衛協会による「TWP1966」の日本語訳。

TWP1966は民間人保護仕様の考え方の基本

「TWP1966」の最大の目的は、最適なシェルター構造と可能な限り低いコストで実現することでした。武力行使事態における生存率を最大限に高めることを目的としています。リスクの設定は核攻撃として、仮規則として民間人保護シェルター建設で求められる性能を爆風による過圧を1バールと設定し、保護構造は耐1バールとしています。

この背景には予想される損失に関する研究があり、そこでは最適な保護性能は耐1バールから耐3バールの間であることとされていますが、耐1バールという保護性能はコストも含めて検討した結果とのことです。

話はそれますが、この耐1バール、耐3バールという考え方はスイスのみならず、欧州の他の国でもおおよそ共有化されています。たとえば、スイスのメーカーの防爆扉のカタログにはNATO向けのタイプが掲載されていますが、そこでも耐1バールタイプと耐3バールタイプが用意されていることから、耐1バール、耐3バールという考え方が広く普及していることが読み取れます。

「TWP1966」によって、シェルターはすべての面が閉鎖された鉄筋コンクリート製で造られ、開口部は防爆扉、あるいは過圧防爆バルブで遮断されることなどが定められました。「TWP1966」は後年失効し、細かい数値は大幅に変更されますが、そこで出された基本的な考え方やデザインの方向性は現行規格「TWK2017」に至るまでほぼ変わりません。たとえば、非常用脱出口の構造や扉の開き方、換気装置の基本仕様などは「TWP1966」の考え方が貫かれています。

TWPとは別に、その後、民間防衛組織の事務所(コマンド・ポスト)、医療機関向けのシェルターの建設仕様などのガイドラインも作成され、さらに非常用電源設備に関するガイドラインなども策定されます。その後の変遷は第一回でお伝えしたとおりです。

第二回はこれにて終わります。次回は冷戦後のシェルター事情についてふれます。

日本核シェルター協会 事務局

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