【ウクライナからの帰路にて】チューリッヒ~キーウ訪問

破壊されたロシア軍の戦車が展示されていた
2025年2月11日から13日の3日間、ウクライナの首都「キーウ」へ訪れ、その帰路の途中でウクライナの状況を報告します。
ロシアによるウクライナ侵攻が勃発し3年という月日が経とうとしていますが、未だ終戦の見通しが立たない中、今年に入り当協会の理事でもある務台 俊介氏(元衆議院議員)より、ウクライナ視察の打診を受けました。私はこれまでシェルター視察のためにスイスを何度か訪れていますが、その行く先々でウクライナからの避難民家族と交流を深めていたこともあり、ウクライナ問題は非常に高い関心を持っていました。また、今まさに戦火にある紛争地域のシェルターを視察することに大きな意義を感じ、この打診を受けることにしました。
ウクライナ避難家族との再会
ウクライナへ入国する前にスイス・チューリッヒへ立ち寄り、親交のある2つのウクライナ避難民家族へ会いに行きました。これにはどうしても入国前に一度会っておきたい理由があったからです。それは、このうちの一つの家族の父親が、昨年末に戦死したことを聞かされていたからです。
彼は昨年、家族に会うために2回チューリッヒに訪れたそうで、最後は2024年の11月とのこと。仕事はウクライナ兵士の配置業務を担当していたようです。妻のタチアナさんは、なぜ11月にウクライナへ戻ることを止めなかったのか、と自分を責めていました。彼女は夫の亡骸に対面することが出来たようですが、それすら叶わない家族もいる現実を知らされると、言葉にならない悲しみが込み上げてきます。
小学校5年生の次男アルチョムは、やはり悲しく寂しそうな様子でしたが、自ら父親の写真を見せてくれました。父親にそっくりな彼を見ると非常に胸が締めつけられます。長男のバグダンは18歳で、ウクライナに戻ると兵役に取られるため、戦争が終わるまで帰ることはできません。そのため、父親に会う事は叶わなかったのだろうと思います。
残念ながら、もう一つの家族はインフルエンザのため、会うことができませんでした。最後にタチアナさんとアルチョムとハグをして別れましたが、本当に切なく、彼らの悲しみが少しでも和らぐことを願ってやみません。戦争は決してあってはならない。心からそう感じた瞬間でした。

キーウ市内の戦没者慰霊施設を訪問。日本をはじめ各国の国旗も。
ワルシャワからキーウへ
ウクライナへの車での入国は禁止されていたので、一旦ポーランドのワルシャワで一泊し、翌朝列車にてキーウへ向かいました。途中ポーランドとウクライナの国境で一時停車。パスポートをウクライナの警備兵に預け、出国手続きが始まります。戦時下への入国とあって、やはり緊張感が漂います。キーウ駅に到着すると、いきなり避難警報が鳴り響き、駅構内のシェルターへ避難することに。30分後にようやく避難警報は解除されましたが、キーウに到着してわずかな時間で、この国が置かれている現実を思い知らされました。
ホテルへ到着して、まずはシェルターの位置を確認。出国前にいくつものホテルを調べましたが、どのホテルにも地下シェルターが備えられていたことに感嘆したのを思い出します。このホテルの地下シェルターは、元々はジムやプールとして利用されていた空間をシェルターとして改築したようです。こういったシェルターの視察に加え、今回の訪問のもう一つの目的は、ウクライナ政府関係者との情報交換です。避難施設の現状や今後の支援について意見交換を行うなど、有意義な機会を頂きました。
(過去記事:ウクライナのシェルター考~上川外相記者会見の映像より)
キーウの現実から学ぶ
深夜ホテルで休んでいると、突然警報が鳴り響き、その数分後には低いドスンという音と共に地響きが伝わってきました。出国前から現地の避難警報アプリをダウンロードしていましたが、出国前の日本でもこのアプリから頻繁に警報が鳴っていたことから、現地の状況はある程度覚悟していました。しかし、これまでに感じたことのない恐怖と複雑な感情が込み上げてきます。
平和な日本の有難さと、明日は他人事ではない現実から、日本人として何を学び、どう行動すべきかを考えさせられました。ただし、シェルターへ避難してみると避難行動を取った人の数はまばらで、頻繁に鳴る警報へ慣れてしまっている実態も垣間見ることができました。このことも有事のシェルター運営の課題であろうと考えます。
帰路につくためワルシャワに向かう途中、国境付近で列車が停止させられると、ウクライナ軍の兵士たちが乗り込んできました。パスポートや荷物のチェックが行われましたが、トイレに席を立つことも禁止され、写真撮影などもできない重苦しい空気が漂いました。兵役逃れを調べているようにも見えましたが、はっきりとは分かりません。一方で、兵士たちの表情は凛々しく、国を守ろうとする気概を感じると同時に、どこか哀しさを感じるようなオーラを漂わせているのが印象的でした。
今回の訪問は、私たちが享受している平穏な日常が、どれほど幸せなものなのかを痛感させられただけでなく、未来に起こり得る危機にいかに準備するか、その重要性を再確認する訪問となりました。まずは日本に戻り、やるべきことを着実に進めます。