シェルター先進国スイスに学ぶ文化財保護 ― 現地視察から見えてきたもの

スイス・ベルン州公文書館
戦争やテロ、自然災害などの非常事態が発生した際、人命保護だけでなく、文化財をいかに守るかも国家の重要な責務です。シェルター先進国として知られるスイスでは、文化財保護についても独自の制度を整備してきました。
近年はロシアによるウクライナ侵攻を背景に文化財保護への関心が高まっており、スイス政府は避難計画の整備と地下シェルターによる保管体制の強化を進めています。
今回は、本年5月に実施した現地視察の内容をもとに、スイスが文化財を守るために進めている取り組みを、緊急時の対応計画から専用シェルターの整備まで、その実態を紹介します。
有事に備える緊急対応計画の整備
スイスでは重要文化財を保護するため、地下の安全なシェルターへの保管が制度化されており、地上のシェルターは不可としています。
2026年2月、スイス連邦民間人保護局(BABS)は、文化財保護のための緊急対応計画のテンプレートを公表しました。この計画の目的は、洪水や火災、武力紛争などの予期せぬ緊急事態が発生した際に、どの文化財を優先的に避難させるのか、誰がどの役割を担うのか、消防や警察などの関係機関がどのように連携するのかを事前に明確化することにあります。
このテンプレートには下記のような項目と入力欄が設けられており、美術館や博物館といった各施設がそれぞれ事前に入力して完成させる形式になっています。
- 想定されるリスク
- 警報システム
- 緊急連絡先
- 非常時対応要員の配置
- 優先的に保護すべき文化財の場所
- 優先文化財リスト
このテンプレートは、それぞれのニーズに合うようにカスタマイズが可能で、専門知識も必要とせず、シンプルな設計になっています。これによりできた計画によって、不確実性が軽減され、意思決定が容易になり、関係者全員が緊急時に取るべき措置を正確に把握できるようになります。
文化財保護シェルターの建設費用負担と技術要件
スイスでは、文化財保護シェルターの整備についても明確な役割分担が定められています。国指定文化財を保護するためのシェルターの建設や、既存施設の改修費用は連邦政府が負担します。また、各州が保有する公文書などの保管スペースについても、連邦政府による財政支援の対象となっています。
一方、州指定文化財を保護するためのシェルター整備は、州政府の責任とされており、それぞれの予算によって建設・維持管理が行われています。こうした費用負担や整備方針は、「スイス連邦民間人及び民間防衛に関する連邦法」および「民間防衛に関する条例」に基づいて運用されています。
さらに、文化財保護シェルターには一般的な核シェルターとは異なる厳しい技術要件が課されています。主な要件は下記の通りです。
- 通常兵器及び核兵器への対抗力(特に通常兵器の至近距離への着弾)
- 最低300年、場合によっては1,000年規模の耐久性
- シェルター内部の保護設備は少なくとも100年持つこと
- 収納される文化財に応じた物理的保護機能(特に対衝撃耐性)及び化学的な劣化を防ぐ保護機能
- 設置場所固有の環境に応じて、空調設備など必要な環境を維持できること
- 人が長時間滞在する施設ではないため、作業場やトイレなどの生活設備の設置禁止
文化財保護シェルターを視察
本年5月、実際に文化財保護シェルターを確認するため、スイス連邦民間人保護局(BABS)を訪問。通常は見学が難しいベルン州公文書館の地下に設置された、文化財保護シェルターを見学することができました。

この地下に公文書保存施設がある
施設はベルン中央駅近くに位置し、公文書館本館とは別に地下3階まで続く専用の保存施設となっています。

収蔵庫入口の防爆扉

平時は収蔵品の搬出入のため床に段差はない

非常時にこの部品に組換えることで気密性を保持する
ベルン州はこの施設以外にも複数の保管拠点を保有しており、そのうちの一つは州立銀行の地下型核シェルターを活用しているといいます。こうした分散保管は、万が一、一つの施設が被災しても文化財全体を失わないためのリスク分散策としても機能していると考えられます。

フィルム等環境に敏感な収蔵物用環境管理設備

人は避難しないためエアフィルターは設置されていない
最後に
今回の視察により、スイスの文化財保護政策は、単に地下シェルターを整備するだけではなく、文化財を有事から守るためのソフト面も含めた体制づくりを進めていることが分かりました。人命を守る核シェルターで世界的に知られるスイスですが、その防災思想は文化財保護の分野にも徹底されています。
一方で、スイス連邦民間人保護局(BABS)によれば、博物館・美術館などの現場では、文化財保護シェルターの運用に対する認識不足が課題として挙げられています。先般公開された緊急対応計画のテンプレートは、現場の継続的な理解を深めるための取り組みであり、平時から有事を想定した準備や訓練の重要性を示すものです。
文化財は一度失われれば二度と取り戻すことのできない国民共有の財産です。こうしたスイスの取り組みは、日本にとっても多くの示唆を与える事例といえるでしょう。

